小学校低学年にもわかりやすく解説!七夕にそうめんを食べる由来とは?

お正月といえばお餅におせち、端午(たんご)の節句といえば柏餅やちまき。

昔からある日本の行事には、必ずと言っていいほど「お決まりの食べ物」

があります。

では、「七夕」といえば、どんな食べ物を思いうかべますか?

 

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あなたは知ってました?七夕にそうめんを食べる地域がある!?

 

 

知ってましたか?七夕の行事食(「お決まりの食べ物」のことです)

は、そうめんだったんです。

 

私は七夕にそうめんを食べたことはなかったので、

地域によって違うのかと思い調べてみました。

すると、七夕にそうめんを食べるのは東北から北海道にかけての地域

だという説や、近畿地方じゃないかという説があり、はっきりしません。

 

では、「七夕にそうめんを食べる」というのは、

そうめんの会社が宣伝のために言っているだけで、

たいした歴史も由来もないのかと思えば、そうでもないんです。

 

子どもや孫に教えたい!七夕の意味とその成り立ちとは!?

 

 

七夕に食べるそうめんの由来には、いくつかの説があります。

その説明にも関わってきますので、まずは七夕の行事の由来からおさらいし

ておきましょう。

まずは、有名な昔話から。

 

むかしむかし、天上の世界に、布を織るのがたいへん上手な

お姫様がおりました。

このお姫様は織姫といって、お父さんである天帝に

とても可愛がられていました。

 

天帝は、織姫に幸せな家庭を持ってもらおうと、

働き者の牛飼いの男、彦星を紹介します。

めでたく二人は結婚しますが、

困ったことに織姫も彦星もお互いに夢中になり、

仕事を放ったらかしにするようになってしまいました。

 

天上の世界で布が足りなくなっても、牛がやせ細っても、

二人は働こうとしません。

このことで天帝は怒って織姫を連れ帰り、二人の間に大きな川を

作って行き来できないようにしてしまいます。

 

これが天の川です。

 

しかし、天の川にさえぎられ、会えないことを悲しんだ二人は、

さらに働く気力をなくしてしまいます。

困り果てた天帝は、年に一度、7月7日だけは会ってもよい

許しを与え、これでやっと織姫と彦星は、

再び真面目に仕事に励むようになったのでした。

はた織りが上手だったという織姫の話をもとに、中国では7月7日、

はた織りが上手くなるよう星に祈るようになったそうです。

これが「乞巧奠(きこうでん)」という行事で、

平安時代の日本にも伝わり、平安貴族の行事にも取り入れられました。

 

おさらいが長くなってしまいましたが、そうめんの話に戻すと、

この逸話の織姫にあやかって七夕にそうめんを食べる、

という説があります。

 

細長いそうめんがはた織りの糸のようなので、そうめんを食べて

織姫のようにはた織り上手になれるよう願ったというのです。

 

今もそういう傾向はありますが、昔の人は特に「あやかり」好きですね。

 

また、七夕に食べるそうめんの由来にもうひとつ、深く関わっている

お話もあります。

 

その昔、中国で当時の皇帝の子どもが亡くなり、祟りとなって

城下に病気を流行らせたが、その子の好きだった「索餅(さくべい)」

というお菓子を供えると病気が収まったことから、

毎年その子の命日の7月7日に索餅を供えるようになった、

というものです。

 

この逸話と七夕が合わさり、平安時代の宮中でも

七夕に索餅を供えたそうです。

索餅は小麦粉を練って焼いたお菓子ですが、

しだいに作られなくなっていき、そうめんにとって代わられた、

というのが七夕のそうめんの由来のもうひとつの説でした。

 

七夕のそうめん まとめ

今回はそうめんを通して七夕について見ていきましたが、調べれば

調べるほど「ややこしい」という印象が強まりますね。

それだけ日本の人は、外国の文化を取り入れて自分たちの文化と組み合わせたり、自分流にアレンジしたりするのが上手だということなのでしょうか。

ぜひ次の七夕には、ご家族と七夕にまつわるいろいろな話を教え合いながら、そうめんを食べてみてくださいね。

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